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育児というのは、じゃじゃ馬を飼い慣らすようなもの(1)

西山桂(教育学部)

《静かな朝の終焉》

私たち夫婦はもう10年近くも平穏な朝を過ごしてきたのである。
それはむしろ静謐といってもいい。
夜明け前に起きて、コーヒーを淹れる。
書庫から取り出した本の世界に没頭したあと、出勤する。

休日ならもう少し物語の余韻に浸る。部屋に朝日が差し込むと、その静かな一瞬が切り取られたかのような感覚に陥る。まるでフェルメールの描いた地理学者の絵のように。

しかしそのような静寂も永久には続かなかった。去年6月に長女がやってきてからというもの、すべてが変わった。赤ん坊が発する物理的な音によって静けさが破られ、私たちの生活リズムのすべてが躍動的になった。

《奮闘の始まり》

朝6時半過ぎ、妻と濃い目の高山烏龍茶をすすっていると、ふすまの向こうの寝床から突然「あぅぅぅぅ」という声が聞こえてくる。さあ「姫のお目覚め」だと、二人で顔を見合わせる。

朝のミルク作りはたいてい私の役割だ。計量スプーン山盛り3杯の粉ミルクをほ乳瓶に入れ、温水を加えて120 立方センチメートルとする。妻は言う、要するに固体を液体に溶解させる理科実験なのだから、こういうのは得意な人がやって、と。

授乳のあとは、風呂場へ連れていき一緒にシャワーを浴びる。娘は簡単に寝汗を落とすくらいなのだが、引き続き私がヒゲを剃る間も付き合わせておく。併せてせいぜい15分程度、それだけでも妻にとっては一人きりで過ごす朝の貴重な時間になる。

身支度を調え、集積場にゴミを出すのに娘も連れて行く。10分間だけ屋外で遊ばせたのち、妻に娘を託して私は出勤。夜の退勤後にはスーパーに立ち寄り、メールで送られてきた「欲しいものリスト」に目を通す。帰宅してからは、夜のお風呂。湯船に浸かったあと、今度は石けんを使いながら娘の身体を丁寧に洗う。

《「川の字」は布団だけ》

着替えさせると、こんどは寝る前のミルクを飲ませて、歯みがきだ。歯ブラシをくわえるまでは自分でやるのだが、前歯の裏や奥歯までしっかりブラシを当てる「仕上げ」は親が面倒を見てやる必要がある。歯ブラシを口の奥へ突っ込むと嫌がるので、私が怪力で身体を押さえつけながらみがいてやる。そのうち、デンタルフロスも必要になる。

一日の終わり、寝かしつけるのには父親は無力のようだ。川の字に布団を敷くのだけど、真ん中に寝かせてもすぐ妻の方に転がっていってしまう。私も、睡眠によく効くような「α波が出るといわれている音楽」(本当??)を子守歌風にアレンジして歌ってみた。あまり効果はなかった。こうやって、「姫、お眠りになる」ときが訪れて初めて、私たち夫婦だけの静かな生活が戻ってくるのだ。

《子育ても楽しくなければ》

子育てというのは、日々こなさなければいけないルーチンワークのようであって、実際はかなり違う。何が大変かというと、「娘が昨日好きだったものを、今日も好きとは限らない」ということ。いまこの瞬間に好んで遊んでいるおもちゃも、次の瞬間には飽きてしまい、もう二度と関心を惹かないかもしれない。結局は、じゃじゃ馬というより、暴れ馬を飼い慣らし、手綱を緩めたり引っ張ったりするのが育児のようだ。

私は乗馬そのものにはあまり興味がないのだが、友人によると結構奥が深いらしい。育児の場合は、興味のあるなしに関わらず、否応にでもその責任を引き受ける必要がある。別に育児が「うまくなる」必要はまったくない。楽しくなければ何ごとも身につかないというし、育児の中にも何かしらの面白みを見出せるとしたら、それに越したことはない。

今回本欄に連載する機会をいただいた。育児とは何か、家族とは何か。これを機に、秋の夜長に深く思いを巡らせてみたい。

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